考えごと

我慢してた友情に、静かにさよならした話

pes

友人の言葉

これは学生時代の話。私はある友人とよく一緒にいた。すごく気が合うわけではない、でも一緒にいてそれなりに楽しかったし、その頃の私は誰かといることを望んでいた。

その友人に少しモヤモヤしながらも。

友人と仲良くなったのは、なにかで意気投合したわけでもない。たまたま席が近かったし、たまたまお互い一人でいたから。そんな理由で、私たちは当たり障りない話(流行っているJ-POPやドラマの話)をして仲良くなった。

私たちは教室だけの関係に留まらず、学校終わりに近くのカフェで過ごしたり、休日も遊ぶようになった。

仲良くなってしばらくするとわかったことがある。その友人は思ったよりズバズバと言うタイプだったということ。そしてその言葉は私を―少なからず―傷つけるものだった。

たとえば私の服装を見て「その服やばいよ。モテないよ。」、髪型を見て「もっと髪の毛伸ばしたら。モテないよ。」。

私はモテたいと思って服装や髪型を決めていなかった。自分がしたい格好をしていた(モテなくていいとも思っていなかったけど)。あとモテたいと相談したこともないのに、なぜモテ基準で言われるのかが理解できなかった。

そのことを友人には言わなかった。「そうかなぁ」と気まずい顔でヘラヘラしながら話題が変わることを待っていた。胸の内は「すごくいやだな」と友人に対して少なからず苦手意識を持つようになった。

しかしその攻撃が何時間も続くわけではない。たいていは会って最初の数分。でもそのたった数分が、私にダメージを与える。それでも永遠に続くわけではないと、やり過ごしてきた。

不快な人とは距離を置く

学生時代は暇だったし、遊んでくれる友人がいたほうがよかったということもある。なので―少し―我慢に近い感情でその友人と遊んでいた。誰かと一緒にいればそこそこ楽しかったし、一人でいるよりは寂しくなくてよかった。

学校を卒業してからも定期的に会っていたけど、状況は変わらなかった。私の見た目に対して毎回、何かしら指摘をする。まるで指摘することが挨拶のように。

学校で会うから仲良くしていたわけではないが、学校を卒業した後も指摘の定型文を聞かされることにうんざりするようになり、次第に距離を置きたくなっていった。

そもそも、その友人も私と遊んでいて楽しいのかよくわからなかった。楽しいから遊んでいたのか、暇だから遊んでいたのかわからない。私は暇だから遊んでいたのもあるし、会えば多少は楽しかった。でも不快な気持ちになることは望んでいなかった。

そんなことを考え始めたら、会わなくてもいいじゃんという結論になった。

その頃にはお互いのライフステージが変わったこともあって、忙しさで会う機会も減り自然と連絡を取らなくなった。

友人はどうしているのだろうと、ふと思うことがある。

当時の私は、誰かといたいから少し我慢していた。今ならわかる。嫌な思いをしてまで会うことはない。自分を消耗させないことを優先させよう。

友人の言葉に反応しなくていい自分でいたい。

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日常エッセイスト
1984年生まれ。 普段は平凡な毎日を送っています。 小さなできごと(いいことも、わるいことも)を、このブログに書き留めています。
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