嫌いじゃないのに会いたくない。誕生日メッセージも未送信のまま

メッセージが送れない
「今日は友だちの誕生日だから、おめでとうのメッセージを送ろう」なんて思いながら携帯を触る。ただしメッセージアプリは開かず、ためにならない情報をスクロール。そのうちに時間が過ぎていき、とうとうメッセージを送らずその日が終わる。
みなさんは、そんな経験はありませんか。私は頻繁にあります。
書き始めてしまえばそこまで時間を使わずに書けるけど、書こうとすると指が石のように固まってしまう。きっと頭の中で余計なシミュレーションをしてしまうから。
このメッセージを送ったら「久々に会いましょう」と返ってくるかもしれない。いざ会うとなるとめんどうだから、「会いましょう」とならない文章にしないといけない。そんな風にぐるぐると考えている間に、結局送れない。
別に会いたくないわけではないですよ。でも、どちらかと言ったら会いたくない。その人が嫌いだからではない。会うまでの労力を考えると辟易としてしまうから。
- 日程を決める
- 場所(店)を決めて、予約をする
- お互い近所に住んでいないので、移動に一時間はかかる(往復で二時間)
- 予定日が近づくとソワソワする
恋人のように欲するように会いたいわけでもないし、家族のように会わないといけない関係でもないのに移動に一時間もかけるのは疲れてしまう。
どうせ会ってもたいした話はしないし(サミットのような重要な話もいやだけど)。
そんなわけで、会いたくないのです。もう一度いいますが嫌いなわけではありません。嫌いだったらそもそもメッセージを送らないので。
“会う”労力は果てしない
会えばそれなりに楽しいこともわかってるけど、“めんどう”(一時間の移動やその他もろもろ)と“会う”を天秤にかけると、底が抜けるぐらい“めんどう”に傾いてしまう。
じゃあ、もし近所だったら会うかと聞かれたら「ノー」です。
若いときはあまり思っていなかったけど、そこまで人に会いたいタイプではないようです。二十代の頃は一人でいるより誰かと遊んでるほうが楽しかった(自由も時間もあった)。一人暮らしをしていたから人恋しさもあった。たぶん。
現在の私とは状況が違う。家族と暮らしていて自由もそこまでない、人恋しさもない、時間もないから、会うことに抵抗がある。
でも、マクドナルドとかに行くとママ友らしき人たちがよく集まって話しているのを見かけます。あーいう光景を見ると「大変そうだな」と勝手に思ってしまう。当の本人たちは、純粋に楽しく話してるのかもしれないけど。子どもの話やら家族の話をお互いに言い合うのは楽しいものなのかな。
ママ友たちも誕生日はメッセージを送り合ったりするものなのだろうか。「お誕生日おめでとう。またマックで楽しくお話しましょうね。ところで明日のお昼は空いてる?」なんて感じに目に見えないネットワークでやり取りしているかもしれない。
その間も私は一人で本や動画を見て過ごしている。来年もきっと送らないんだろうな。
みなさんはどうですか。