ポイ活に利用された?それって“友情”のかたちですか?

久しぶりの通知にざわつく心
休日の朝、携帯電話がポンと鳴る。
なんだろうと携帯を見ると、一年以上連絡を取っていない友人からのメッセージ。なにかあったのだろうかと胸がざわつく。開いてみると「おすすめのマンガだよ」の無味乾燥なメッセージにURLが添えられていた。
唐突におすすめの漫画を送られてきたことに困惑。そして、その他のメッセージはとくにない。パートナーに話すと「それは友だちに勧めるとポイントがもらえたりするやつだよ」と教えてくれた。調べてみると確かにそうらしい。友だちに勧めるとポイントがもらえて、そのポイントを使って漫画を読むらしい。
企業もよくこんな仕組みを考えるもんだと感心する。と同時に私がこの仕組みに利用されたことに多少落胆した。
友人がどんなポイ活をしようが知ったこっちゃないけど、自分が利用されるとなんだかなと思う。もちろん感情がないメッセージに対して反応はせず、そっと削除した。
この件に私はモヤモヤしてしまった。ポイ活に利用されるぐらい仕方ないと割り切れたら楽だろうけど、そう簡単なことではない。
なんならこのようなメッセージはいまに始まったことではない。友人はこれまでも、私には理解しがたいメッセージを送ってくる人だった。
私が好きそうな――友人が勝手に判断してるだけの――記事のリンクだけを送ってくる、スタンプだけ送ってくる。その人からのメッセージは特にない。それがメッセージなんだろうけど、私はそれに返信するのがとても嫌だった。
それは気持ちが入っていないメッセージに、自分の気持ちを使いたくないと本能的に思ったから。
これらのメッセージは、まるで私の反応を探られているようで、いつもいい気がしなかった。
友人との“距離”ができるということ
この友人は今となれば「本当に友人なのか」と考えさせられる。
その人とは学生時代に出会い卒業してからも定期的に遊ぶような関係だった。その後お互いにライフステージが変わり、そこから十何年は会っていない。会わない間、近況を報告しあったりすることもなく(詮索されたくないから伝えない)、メッセージ(一行ぐらい)のやり取りをしても2往復ぐらいで終わっていた。
その人に淡白な対応をするには理由がある。自分の情報はなにも開示しないのに、人のことばかり詮索してくるのだ。友人だからと普通に接していたときは「言い損した」と思ったことが数え切れないぐらいあった。
しかし十何年会わなくなると“友人だから”とは思わなくなった。きっと私の中で友人との間にものすごい距離ができてしまったのだ。それは視覚でわかるものではない、気持ちの感覚だ。
会えば距離も縮まるだろうけど、残念ながらいまのところ“会いたい”となることはなさそう。
今後も気持ちは離れていくだろう。そして大事な話をすることも当たり障りない話をすることも、もちろんポイ活のためにメッセージを送ることもない。
でも、絶対にそんなことはないとも言えない。人間関係は生き物のように、時と場合で変化する。だからあえて白黒つけるようなアクションはしない。そのときを待つだけ。