ひなまつり

子どもの節句の一つである「ひな祭り」。節句は孫を持った(私の)母にとって大きな出来事だった。
私が娘を出産したとき、私の母が「これでお雛様を買いなさい!」とお金を渡してくれた。実は私はこのようなモノ(雛人形)を持ちたくないと思っていた。
そもそも実家に住んでいたとき雛人形はあったけれども、3月3日に必ずお目にかかっていたわけではない。母は「いつも飾りたいと思うけれど、大変だからぁ」と言っていた。私も雛人形を見て気持ちが高揚するタイプではなかったので「出しても出さなくてもオーケー!」といったスタンスだった。
こんな感じのひな祭りを過ごしてきた私には「子どもにも雛人形をあげたい!」という気持ちにはなれなかった。どちらかというと、「どうせ出すのが大変となるのだから、そんなものは必要ないな!」と思っていた。(値段も高額でびっくりする。)
一応、雛人形にもなにかしら意味があって買うのだろうからと調べてみたら、大まかに3つあるらしい。
- 女の子の厄を払う
- 幸せな結婚を願う
- 健康で元気に成長することを祈る
お雛様もこんな期待を背負わされてるのかと思うと大変だ。
幸せな結婚とはならなかった私は別にお雛様を憎んだりはしなかったし、なにか大変なことが起きたとき「あのお雛様をちゃんと飾らなかったからだ!!」と思ったことは今のところはない。
しかし、私の母は雛人形をどうしても孫に買ってあげたいらしく、「どんな雛人形を買ったんだ?」とお金をもらってから雛人形を買うまでは会話のトップトピックスになっていた。結局、私はガラスケースに入った雛人形を購入したのだが、それでもなかなかの大きさでウンザリしていた。
購入してからも、しばらく(2−3年)は「ちゃんとお雛様飾ったの?」と聞かれた、私はこの会話に多少なりとも疲れていた。こんなに聞かれたりするなら、自分のお金で買えばよかったとも思ったけれど、きっとそれは母からすれば嫌だろう。母は”孫に雛人形を買ってあげた”という事実が大事なのだろうから(たぶん)。
その後、私は離婚することになり、ムダに大きなお雛様と一緒に引っ越したのだけれども、引っ越すときに「やっぱりお雛様はいらないな!」と思った。お雛様を廃止というか、もっと小ぶりなお雛様にチェンジしたくなったのだ。
「この雛人形を飾るのは今年で最後にしよう」と気合を入れて段ボールから雛人形を出して飾ってみたけれど、子どもはまったくといっていいほど食いつかなかった。
「ちょっまてよ!」と思った私は、自ら「お雛様飾ったよ!」と子どもに伝えたけど「わーほんとだ!」と言ったきりだった。こんなに無関心となるとお雛様を買いなおす必要性も感じなくなったのだった。
現在どんな風に「ひな祭り」を過ごしているかというと、ほんとにいつもの日常と一緒のことをしている。雛人形も飾らず(雛人形はさよならした)、ちらし寿司も食べず、歌も歌うことなく終わる。子どもから「雛人形は?」と聞かれないし、私の母からも「雛人形は?」と聞かれなくなった(たぶん、さよならしたことを察したのだろう)。
節句を大切にすることも素敵だろう。そして何気ない日を大切にすることも大切だろう。