食べすぎた次の日、終わりがないものだと思っていた

食べすぎた次の日
久々に食べすぎてしまった。しかも夜10時ぐらいまで食べてしまった。具体的になにを食べたかというと「ハッピータン」「柿の種」「ナッツ」だ。正直に言うとこのお菓子たちをほぼ完食してしまったのだ。
食べてる間も頭の中では分かっていたのだ「こんなにいっぱい食べたら、カラダにいいことなんかない」と。でも、私の頭の中には天使と悪魔みたいなものがいて、悪魔みたいなやつが「たまにはいいじゃん!!大丈夫なんとかなるよ!!今、食べちゃおうぜ!!」と言ってくるのだ。
ちなみに「天使と悪魔」どちらが強いか、もちろん「悪魔」だ。天使はすぐに負けてしまうので、私は悪魔の声に従うまま食べまくったのだが。食べ終わった後は胃が重くてカラダが悲鳴をあげているのが分かる。寝る直前までなんだか胃がスッキリしなかった。胃がスッキリしないと寝れないとかもないので、もちろんすぐに眠れた。
そして次の日の朝、自分の顔を見てびっくり。「すごく浮腫んでる!!」当たり前っちゃ当たり前だし、無茶な食べ方をするとちゃんと代償を払わされるものなのだ。
このような食べ方は20代の頃からしてたけど、最近はカラダによくないことしてる感がある。20代の頃は次の日の朝、顔を見てもここまで「浮腫んでる!!」とは思わなかった気がするしカラダもすぐにいつも通りに戻っていた。
私もちゃんと年齢を重ねているんだなと実感。いつまでも20代みたいな食べ方をしていたらカラダを壊してしまうだろう。カラダから発せられてるシグナルをちゃんと拾って活かしていかなといけない。それは食べるものだったり食べ方だったり。
今年の目標の一つに食事も入れたいと思う。これからはカラダにいいことをしていきたい。
終わりがないものだと思っていた
ドラマや漫画の連載は始まったときには終わりに向かって走っていると分かっているんだけれども、終わりに向かってことを忘れてしまいがちなこと(コラム、スポーツ選手、アーティストetc)が終わりを告げるときなんだかすごく悲しくなるものだ。
アイドルグループが突然解散するもそうだった。勝手にずっと続くものだと思っていたから。というかずっと続くとかの思いもなくて、いて当たり前の存在だった。でも、向こう側の人たちはこれからどうしていくかとか色々考えてるわけで。解散はこちらの見てるだけの人には突然の出来事だけど、向こう側の人たちにとっては必然的なことなのだ。
急に終わることを告げられるとこちらの見てるだけの人はなかなか整理がつかないものである。そして終わってしばらくすると、今度はないことが当たり前になる世界が待っているのだ。なんか切ないけれども、だから楽しく生きられるのかもしれない。
私が通っていた高校の先生がこんなことを言っていた「人間は忘れることができるから幸せなんだよ」と。いいように人は忘れて、また新しいものに目を輝かせるのだろう。
だから、いま好きなものがあるのならば推しておくべきだ。いつか終わりは来るけど、推してる間は終わりのことも忘れてしまう。そして、たとえ終わってしまっても、そのうち忘れることができるから。