日常

「友情は一生もの」って、本当?──たどり着いた答え

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友情よりも恋

「友情は一生もの」はほんとだろうか。 恋人ができたとたん連絡が減る(それはとてもわかりやすく)。そんな友人を見て、若い頃の私は寂しさのような嫉妬のような複雑な気持ちになった。それからときが経ち、その現象は今となれば「そんなもんだろ」と思えるようになった。

付き合いが悪くなる友人

学生の頃によく遊んでいた友だちは社会人になり、社内恋愛を成就(それなりのドラマがあったらしい)させ初めての恋人ができた。それまではよく──当たり前のように──遊んでいた。

そしてこれは数学の定理みたいなもので、恋人ができると友だち付き合いが悪くなる。そのとき「恋人より友情」や「友情は一生もの」なんて言葉──標語みたいな言葉──があるけどほんとにそうなのだろうかと思ったもの。そんな経験ありませんか。

今思えば、友だちが恋人を優先するのは当然。当時の私は、その変化を受け入れられないほど未熟だったし友だちに対して幻想を抱いていたのかもしれない。

暇つぶし

「友情は一生もの」と言われる理由は、関係性が恋人や家族に比べて重要ではない(いい意味で)からかもしれない。

もし友だちが恋人との約束を優先したとしても「もうあなたとは会いません」とはならない「じゃあまた時間あるときに会いましょ」と軽く流せる。友だちは特別強い絆がなくても成り立つし、いい意味で暇つぶしの相手なのだ。

だから恋人ができると友だちといる時間が減る。だって暇じゃなくなるから。友だちは暇な時間を埋めてくれる存在なのだ。

あからさまな友人もいる

とはいえ友だちならなんでも許されるわけではない。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉通り、ある程度のラインははあると思う。

友だちよりも好きな人の意見

別の友だちが「好きな人ができた」と報告してきた。私が見ていた限りほんとに好きな人に夢中だった。だからなのか好きな人の言葉しか耳を貸さなくなってしまった。

ちょうど私と友だち、そして好きな人の3人で食事をすることになりお店選びをしていた。私が「ここどうかな?」と提案したお店に、友だちは「うーん…」と浮かない顔。でも数分後、好きな人が同じ店を提案すると「そこいいね」とぱっと顔を明るくした。

私の言葉は軽くはねのけられて、好きな人の同じ言葉は大切そうに受け止められる。その温度差に、私はふっと心が冷えたと同時に呆れてしまった。

その前からも友だちは私のことを小馬鹿にするようなところがあったので、連絡の頻度を減らして徐々にフェードアウトしていった。

暇だから遊んでいた

今になって思えばどうして友だち──こんな友だち──と一緒にいたのかと不思議に思う。

きっと私が暇だったからだ。

友だちも同じく暇だったから私と遊んでいたのだ。好きな人ができたら、なんでも(予定も言葉も)そちらを優先するのは当たり前。

友だちが私に失礼なことを──それは無意識に──したのも暇つぶしの相手だから。そう考えれば、友だちというカテゴリーに対して大きな期待を抱かないし、いい距離感で付き合えるかもしれない。

自分を大切にしよう

幼少期から学校(特に義務教育)では「友だちは大切に」と教わるけど、まず友だちよりも一番大切に付き合わないといけないのは自分だ。自分自身との付き合いこそ「一生ものの付き合い」。

友だちの暇つぶし要員として振り回されてる場合ではない。もっと自分を大切にしないといけない。

これからも友だちのことは私なりに大切にはする。でも優先はしない。一番優先しないといけないのは自分だから。私が会いたいと思わなければ会わない。連絡はとりたい人だけとる。友だちに悪いかなと思うのはもう終わり。

年齢を重ねると、いろいろとたくましくなる。
そして気づく。
ほんとにつながれる人とは「無理しなくても、自然と続く関係」なのだと。

自分を優先することは、わがままではなく、大人の選択です。

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日常エッセイスト
1984年生まれ。 普段は平凡な毎日を送っています。 小さなできごと(いいことも、わるいことも)を、このブログに書き留めています。
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