愛はお金じゃない、でも「使い方」には出ると思う

お金の使い方がシビアな人
親密な関係になった人に愛されてるかどうかって、お金や時間の使い方で分かるときがある。そんな風に思ったこと、ありませんか。
持っている資源――お金だったり時間――を大切な人(とその人は位置づけしているはず)に捧げることができない人に出会うことがある。そういうときは残念な気持ちになるし、私はそんなもんなのかもしれないと割り切る。
お金の価値観が違う人との付き合い
私はそういう人と一時期(幸いなことにそんなに長くない時間)恋人として過ごしたことがありました。
その人は、自分に対してお金や時間を費やすタイプには見えませんでした(あくまで私には)。たとえば、資格の参考書を買うのにずいぶん悩んだ末、結局買わなかった(そして合格もしなかった)。外食を好まず、服はボロボロになるまで着る。そんな人でした。
お金を使いたくないからそうしていたのかは、本人に聞いていないから分からない。でも私にはお金を使いたくないように写った。
そういう人なので私との交際費もちゃんとお金を費やさないようにしていた。
バレンタインに露呈した価値観
ちょうどバレンタインを二人で過ごす機会があったので、お互いプレゼントを用意しようということになった。私は一応デパートへ行って、三千円ぐらいのチョコを用意した。もっと高いチョコもあったけど、相手は高いものを買わないだろうとなんとなく思ったので可もなく不可もなくの値段を選択した。
バレンタイン当日、その人の家でプレゼントの交換をした。プレゼントといってもチョコなのはわかりきっているし、それ以外のプレゼントを用意していないこともしっかりわかっていた。でもどんなチョコだろうとワクワクはするもの。
プロテイン入りのチョコバー
その人はカバンからスーパーの袋を取り出し、私に渡した。中身を確認したらそこには約束通りのチョコが入っている。「プロテイン入りのチョコバー」が。
私はこの事実に戸惑ったけど、この人なら「プロテイン入りのチョコバー」を選んでも不思議ではないし、デパートのチョコを買いに行かないのもなんとなくわかっていた。わかっていたけど、それでも落ち込んだ。まるで不当な扱いを受けているような気持ちになった。
この出来事がきっかけではないけど、その人のお金だったり時間の使い方が目につくようになりました。それはいい兆候ではなく悪い兆候として。
相手が悪いとかではなく、ただ私とは合わなかっただけ。「プロテイン入りのチョコバー」に喜べない私にも問題があるし、それを渡してくる相手にも問題がある。
価値観のすれ違い
お互いがよしとするところを見つけられなかったのだ。どうして見つけられなかったのだろう。私たちはお互いをそのまま受け入れることをしないで、相手はこうであってほしいと思いながら付き合っていたのかもしれない。
私はデパートでチョコを買ってプレゼントしてくれる人。その人はプロテイン入りチョコバーで喜んでくれる人。
きっとお互いをもっと理解しようとしていたならば、こういうことは起こらなかった気がする。すべてを理解することは難しいけど、バレンタインのチョコぐらいなら理解できるはず。
結局、お金を使いたくないから「プロテイン入りチョコバー」をくれたのか真意はわからない。
もしかすると、たった一本のチョコバーでも、気持ちが伝われば違ったのかもしれない。でも私はあのとき、少しさびしい気持ちになってしまった。ただそれだけのこと。