ART

坂本龍一展

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先日、坂本龍一の個展「坂本龍一|音を視る 時を聴く」へ行ってきた。

私の中で坂本龍一といえば「戦場のメリークリスマス」が頭に思い浮かぶ。つまり、「音楽家」のイメージが強い。そんな彼の「個展」と言われても、どんな展示なのか正直ピンとこなかった。

個展はすごく人気があって、現在では週末のチケットもオンライン上では売り切れてるし、平日も売り切れている日がある。やはり坂本龍一の注目度は高いのだろう、私でも知っているのだから好きな人にとってはたまらないはずだ。

場所は東京都現代美術館。私たちが行った日はとても寒かった。しかも駅からそれなりに歩く(15分ぐらい)のでより寒さが身に染みた。

混んでると嫌だからと開館時間前に着くように歩いたが、会場に着いてみてビックリもう並んでる!この日はなんてことない平日なのに。

並んでいる人をザッと見ると外国人の姿も多かった。この個展を目的に日本に来たのかどうかまでは知らないが、客層からして坂本龍一の知名度の高さを思い知らされる。

いざ入館して個展を見たが、正直いおう「なにがなんだか」。

断っておくけれども、私は坂本龍一にとても詳しいわけではない。冒頭でも言った通り「戦場のメリークリスマス」のイメージしかほぼ私にはないのだ。この程度の知識で個展を見たから、たぶんー自分なりに理解をしようとしたけれどもーなにがなんだかという感想になったのだ。

まずは坂本龍一+高谷史郎《water state 1》2013から見てくださいと案内される。

部屋に入ってみると、石がちらほらとあり、中心には水があった。「ほほぉ。なるほど。これは大変だぞ(理解することが)」と思う。

部屋の角に椅子があったので、そこから見るといいのかもしれないと近づいてみたが、その椅子はスタッフの人が座る椅子だった。ぜひスタッフの人には座っていてほしいものだ。

次に坂本龍一+高谷史郎《TIME TIME》2024。これは映像作品なのだが、これがすごい!もちろん芸術的にすごいもあるけれど、ものすごく体力を削られた場所でもあった。

映像作品なのだが、どこがスタートかも分からないし、どこがエンドなのかも分からない。

展示の案内板?みたいなのに「映像作品 ◯分」と教えてくれるところもあるが、ここの個展ではそういう記載はない。「時間の概念を捨てろ!」といわんばかりに時間を教えてくれないのだ。このよくわからない映像を、いつまで見てないといけないのか分からない状況は私を不安にさせた。

一応、鑑賞用の椅子もほんの気持ち程度(人数に対して)用意されているが、椅子取りゲームよりも椅子を奪うのは大変だった。

途中、人が多くなってきたのでスタッフの人が「よかったら前に座っても(地べた)大丈夫ですよ」と言ってくれた。その優しさがあるのならば、もう少し椅子を用意してくれたらと思うが、たぶんもう少し椅子を用意したところで足りることはないのかもしれない。

私たちは結局ずっと立ちっぱで見ていた。だんだんと疲れてきて映像が素敵とかではなく「早く終わらないかな」と心の中でつぶやき始めた。このつぶやきは集中力が切れた証拠だった。

そして、私は「きっと終わっただろう」と勝手に決めて、そこをあとにした。

この後も作品はあったけれども、《TIME TIME》で脳が完全に疲れてしまった私は、どっぷり坂本龍一に浸りたいという気持ちよりも、早く外の空気を吸いたい気持ちだった。

とても素敵な個展だったことには間違いない。ただ凡人の脳には作品に対する理解の処理が追いつかなかった。

でも、これが芸術なのかもしれないとも思った。凡人が容易に理解できるようなものを展示されてもおもしろくないだろう。そして、芸術は理解しようとするのではなく感じればいいのかもしれない。

美術館へ行くと、どうしても理解しようとしてしまうし、作品にはどういう意味があるのかを考えてしまうけれども、自然を見てるときと同じように感じるだけでいいのだろう。

「作品から、なにかを得ないといけない」と思うのは学生時代に、作品を見たり読んだりすると大概は的を射た感想文を書かされる状況が多かったからかも。

あとは、事前に個展のことをしっかり調べておくことが大事なんだろう。行き当たりばったりで見るのもいいけれど、ちゃんと知っておくとより楽しめるのかもしれない。

坂本龍一のおかげでアートの見方を気づかせてもらえた。
それだけでも、個展に行ったかいがあった。いや、そんなのなくても本当に素敵な個展だった。

ABOUT ME
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どこにでもいる凡人
1984年生まれ。平凡な20代、怒涛の30代を経てシンプルに生きることを決意。 バツ1。現在は子育てをしながら、日常で思ったことをブログに書いてます。趣味は走ること、写真を撮ること、読書。
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