ハローキティ展(Hello Kitty展)

ハローキティ展(Hello Kitty展)に行ってきた
先日、「ハローキティ展(Hello kitty展)」に行ってきた。土曜日ということもあり会場に入るまでおおよそ80分ぐらいはかかった。ちなみに会場は東京国立博物館の表慶館。これだけでもキティちゃんの人気がわかるのだけれども、こんなに長く愛される日本発のキャラクターはそんなにいないんじゃないかなと思う。キティちゃんが誕生して50年らしいが廃れるどころかしっかり今も第一線で活躍している。
よく思い出してみたら、私も幼稚園のときキティちゃんのお弁当を使っていたなと。お弁当箱だけではなくさまざまなところでキティちゃんのグッズを使っていた。ちなみにその当時の私はキティちゃんのことを好きだったわけではない。親が選んできたものを使っていただけ(親もキティちゃんが好きだとかではないと思う)。結局は、「女の子が持つ」にはちょうどいいかわいいキャラクターとして君臨していたのがキティちゃんなんだろう。
いざ展覧会を見てみたけど、初期の頃から最近までのグッズが多く展示されていた。あとは、SNSに投稿してもらうことを想定している映えを意識した作りだった。「こんなのあったなぁ」なんて思いながら見ていたのだけれども、ところどころでキティちゃんに関する説明があった。私はグッズよりもこういうメッセージが感慨深いなと思った。やはりどんなキャラクターも作成者の意図があるし、その意図がちゃんとしたキャラクターが長く愛されるのではないかなと思う。

展覧会を見終わってグッズを一応見ていこうと思ったのだけれども、グッズの会場に入れるまで30分ぐらいはかかった。時期の問題ではあるけど、寒い中の30分はなかなか辛いものだ。そして、やっと「グッズの会場に入れた!」というときには購買欲は失せてしまっていた。
とは言っても、かわいいグッズがあるかもしれないと思い一通り見たけど。うーん。これはサンリオ全体に言えることだけどグッズがなんかイマイチハマらない。ハマる人にはハマるんだろうけど(当たり前か)。もともとキティちゃんグッズが好きなわけではないからという理由もあるけど、やっぱりこういう展覧会を見たあとは財布の紐がゆるくなりがちなのでほぼ買わなかったことに我ながらビックリした。
きっとスヌーピーだったらすごく買っていただろうな。なんとなくだけどそんな気がする。キティちゃんは優等生すぎるのかも。かわいいの優等生。ちなみにキティちゃんには口がない。理由は「口がないことで、見る人が自由に感情を感じ取れるキャラクターを目指している」らしい。
私はキティちゃんを見てるときもしかすると深い感情が動いてないのかもしれない。なのでキティちゃんを見てかわいいとは思うけど、それ以上もそれ以下もない。
私はまだキティちゃんと心を通わせられていない。通わせることができたらグッズを持ち始めるかも。