時間をどう配分するのか

生きていれば必ず終わり「死」は来るもの(いつ終わるかは知らないけれども)。
人生の時間をどう配分するのか
「人生は有限だから時間を大切にしなさい」との言葉がふと思い出すことがある。この言葉は具体的に誰かに言われたとかではなく本とかで書いてあった言葉だと思う。
こういう(教訓みたなやつ)ためになる言葉は大抵そうなんだけれども。思い出した時はしみじみと「そーだなぁ」と思う、しかし人というのはすぐに忘れてしまうもので。その後すぐに、ネットニュース(くだらない)に時間を割いてしまったりする。はっきり言って私の人生はこんなことの繰り返しだ。
ただ、最近は「時間を大切にしなさい」が腑に落ちたときがあった。それは村上春樹のエッセイを読んだ時だった。
残念ながら、人生の持ち時間にはそれぞれ限りがあります。一人の人間が何もかもをカバーするのは現実的に不可能です。だからある程度の年齢になると、興味の対象を絞って活動していかなくてはなりません。
-村上さんのところ より-
この文を読んでハッとさせられました。大概、「人生は有限だから、気になったことはとにかくやってみろ!」ということを言われるけど、こういう考え方もあるんだなと思った。
何もかもカバーすることなんて不可能なんだなって。
これは年齢も関係するかもしれない。若かったら「気になったことはとにかくやってみろ!」もありだと思うけれども、村上春樹が言うように”ある程度の年齢”になると違うだろう。”ある程度の年齢”が具体的にいくつかは分からないけれども、なんとなくわかるのだ。
私は、ここ最近では興味の対象がだいぶ絞られてきた。若いときは「かっこいいから」「流行っているから」ですぐに飛びついてたけれど、最近は生きていくためのなんやらで時間が限られてるのでなんでも飛びつけなくなった。
飛びつけなくなることに不安を感じることもある。具体的には「このまま色々なことに興味が持てなくなるのかな」「流行についていけなくなるんじゃないか」こんな感じ。
でも、村上春樹のエッセを読んで安心をした。私の、興味の流れは間違ってはいないのかもしれないと思えたから。
たぶん、私は興味の対象を広げるのではなく興味を深めるフェーズに入ったのだと。無理に興味を広げなくていい(オリンピックとか、なにかのW杯とか)、もちろん興味があれば見るのはいいと思うけど理由が流行っているからとかでなければスルーしていいかなと思う。
新しいことに興味を持つ持たないは人それぞれの考えもあるから、これが正解ってわけではない。ただ、私は興味の対象を絞っていくはとても腑に落ちたのだ。正直、今も興味がそれなりにあって手一杯なところがあるから。
村上春樹はそういう生き方をして困ってはなさそうなので、たぶん大丈夫だろう。自分より先を生きている人の言葉は未来人から助言だ。
そんなことを考えながら、今日も限られた時間をどう使おうか、少しだけ意識してみることにする。