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子どもの自転車を購入した、だれのせいでもない

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子どもの自転車を購入した

子どもが大きくなり、自転車の後ろに乗せるのが難しくなってきたので子どもの自転車を購入した。子ども本人もそろそろ自分の自転車がほしいと言っていたのでちょうどいい頃だと思う。

自転車を購入してからは毎日「自転車に乗りたい!」と言っている。でも、そのときの表情はすごく輝いているしワクワクしてるのがとても伝わってくる。そんな子どもを見ているとすごく嬉しくなるし、自転車に乗れる時間を作ろうと思う。心配も多いけれども、今が1番自転車への情熱が高いときだからいいだろう。

運転はまだ不慣れなところがあるけど、それはこれから。誰でも最初は不慣れだ。逆に不慣れな姿を見れるの今だけ。子どもが運転する自転車の後ろを私も自転車でついていくのだが、なんかジーンとするときがある。この感覚は、小学生になって初めてランドセルを背負って一人で登校する後ろ姿を見たときと同じだった。成長した姿にジーンとしたんだろう。

今までは幼稚園に一緒に登園して門のところでバイバイだったけど、小学生になると玄関でバイバイになる。この違いは意外と大きく感慨深くなる。

成長は嬉しいけど、着々と私の手から離れていっている姿はどこか寂しいような気もするけど。でも、この成長は健全なことなので喜ばしいことでもある。まだまだ手がかかるけど、この当たり前を大事にしていきたいとより思った。

とはいってもジーンとしているばかりではなく、実際は心配で「はい!ブレーキ!!」「ゆっくり走って」など声掛けと注意を更に払いながら運転している。

子どものワクワクに付き合えることは親としては最高な時間だ。

だれのせいでもない

子どもが泣いていたので聞くと「〇〇のせいでボール取りに行かないといけない」と一緒に遊んでいた子どもに泣くまで責められたことが原因だったらしい。私はこの手のことにはとても許せない感情が出てきてしまう。

まず「〇〇のせい」と責めることが本当に嫌いだ。なぜなら、この言い方で責められるほうはとても傷がつくから。というのも、私が小学生のときにリレーでアンカーの私が抜かされて負けたことがあるのだ。そのとき私はもちろんすごく悔しかったし、自分のせいで負けてしまったと思っていた。ここまではいいのだが、心ない級友が「〇〇のせいで負けた」と私に言ってきたのだ。しかもバカにするように様々なことを言ってきた。その言葉に傷つき私は悔しくて泣いてしまった。

負けて悔しいし私のせいで負けたことは本人が1番分かっている。でも、「〇〇のせいで負けた」といったところでなにも過去は変わらない。それよりもそのことを経験した未来のほうが長いのだ。そういうときは未来を変えるような言葉を掛けるべきだと思う。「よくやったよ!次は負けないように頑張ろう!」みたいな。

いちいち分かっている事実を傷ついてる本人に言ってくる人は本当に性格が悪いと思っている。小学生のころの私はまだ弱かったので泣いてしまったが、今の私だったらその人のことをただ軽蔑しその人の言葉を無視するだろう。

傷つける言葉をふりかけてくる人の言葉ほど聞かなくていいものはない。

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どこにでもいる凡人
1984年生まれ。平凡な20代、怒涛の30代を経てシンプルに生きることを決意。 バツ1。現在は子育てをしながら、日常で思ったことをブログに書いてます。趣味は走ること、写真を撮ること、読書。
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