モノを減らしても満たされない理由

ミニマリストは、本来なら「モノを減らして、よりよく暮らす」ためのはず。だけど最近は、目的と手段が入れ替わってるような人を見る(それはインフルエンサーの人だけど)。
モノがないことがゴールになってしまって、本来の「幸せ」から離れてしまっていないかそんな違和感を覚えるようになった。
ミニマリストにもいろんなタイプがいる
最近ではミニマリスト系インフルエンサーがたくさんいる(モノは減っても人は増えているようだ)。各々が「ミニマリスト」に対する考え方を持っている。宗教のように考えの幹となる部分(モノを多く持たない)は一緒だけど、細かいところは違う。
「ミニマリスト」と呼ばれる人は、とにかくモノを持たないことだった。テレビで紹介されたミニマリストの部屋には、パソコンと机しかなく生活感はまったくない。それは洗礼されたホテルのような雰囲気ではなく、ただ単にモノがないだけの部屋だった。
最近ではミニマリストと言っても「部屋の中に何もありません」の人だけではなくなってきた。余計なモノそして多くのモノを持たないミニマリストが最近では流行りのミニマリストだ。
ほんとになにもない部屋
私もミニマリストのような生活を送っているけど、極端にモノを持たない系ミニマリストではない。私のミニマリズムは「生活に不自由しない」「ミニマリストの呪縛で窮屈にならない」。
YouTubeを見ていると、オシャレなミニマリストが多くて参考になる。その中で気になる動画があった。「子育てしながらミニマリストを実現してる」という動画。私も子育てしているので参考にしたいと思い見てみたけど…。
憧れるような生活をしていなかった。その人は「部屋の中には何もありません」系のミニマリストだ。なのでほんとに部屋にモノが何もない。そこにあるのは居心地が悪そうなローテーブルとクッションチェアだけだった。
モノがないだけの部屋を紹介しているその人はモノがないことを誇りに話していた。モノを持たないことが自分のアイデンティティーのように。でもその部屋から幸せなオーラは感じ取れなかったし、その人も幸せそうではなかった。私がたまたまそう見えただけかもしれないけど。
その動画を見て「生活をするとはなんだろう」と改めて考えさせられた。人々がミニマリストを目指すのは今より生活を向上させたいのでは。ただ幸せに暮らしたいだけだと思いませんか。
なんのためにミニマリストになるのか
部屋にまったくモノがなくて「生活しやすいです」にはちょっとツッコミを入れたくなる。
私が見た動画のミニマリストは絶賛子育て中なので、子どもは親のミニマリズムに付き合わされている(そういうものだと思って生活してる)。子どもの持ち物も少なかった。「おもちゃは箱に入る量だけ」「ぬいぐるみは3体まで」とルールを決められていた。子どもなんて物欲のカタマリだと思うけど、ほんとよくそんなんで子どもは満足できるなと感心してしまう。
ゲーム機やタブレットは持っているみたいだったので、そういうもので暇をつぶしているのだろう。
手段と目的
ミニマリズムを手段にしてる人とミニマリズムを目的にしてる人の差を見た気がする。どちらがいいというわけではない。たぶん生き方としての価値観なんだと感じる。
部屋にモノがないことを目指すのではなく、しっかり部屋をデザインすることが生活の向上には必要なことなんだと思う。それは家具だったり。やみくもに家具を置くのではなく、こだわりのある家具があるだけで部屋はしまったりするものだ。量には気をつけなければならないけど。
あと生活が便利になることも大切。便利を追求しすぎるとモノは増えてしまうので、どこまで快適にするかは考えないといけないところ。
部屋にコンセプトを持つ
パッと部屋を見たときに「なにもないね」ではなく「こういう人なんだな」と分かると楽しい。部屋にコンセプトを持つと気持ちも豊かになる気がする。
私は子育て中なので、極端なミニマリストにはなれない。個人的には部屋になにもモノがないと、子どもは部屋の居心地が悪いのでは。あと寂しい気もする(なぜだろう)。
ある程度モノがあるから家で楽しく過ごせたりするのではないでしょうか。あと子どもの部屋の使い方は自由だ。もちろん程度はあるけど。
モノを減らすことに執着するのではなく、自分の理想の部屋を想像することが幸せの部屋に近づく一歩ではないでしょうか。
「ちょうどいい暮らし」ってどんな空間ですか?