日常

ファッションの正解って誰が決めるの? ― ブランドのお作法にモヤモヤした日

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おしゃれは自由――そう言われることが多いけれど、実際には「暗黙のお作法」や「ブランドの正解」に縛られていることってありませんか?
今回は、あるストリートブランドの試着室で感じた小さな違和感を通して、「ファッションの自由」と「自分らしさ」について考えてみました。

洋服の選び方

おしゃれって、楽しいですよね。とくに洋服にはそれぞれの「こだわり」や「好み」があるもの。

洋服は「自分が好きなように着ていいんですよ」と言うわりに、お作法――暗黙の当たり前――が多すぎるような気がしませんか。

とあるお店でのできごと

先日あてもなくぶらぶらとショッピングへ行きました。そこには以前から気になっていたストリートファッションブランドがあったので、勇気を持って――ほんと入りにくい雰囲気なので困る――中に入り、きれいに並べられている服を見て「いいね」と連れと小声で盛りあがりました。

ストリートファッションブランドなので、店員さんももちろんストリートファッションを身にまとっている。こういう格好をしている人に対して緊張してしまうのは私だけでしょうか。なんだか、自分がすごく場違いな気持ちになります。なんだかな。

その中で「これはかっこいい」と思うトップスがあり(いかにもストリートな服)とりあえず試着してみることに。着てみるとサイズが自分の身丈には大きすぎるような気がして「うーむ」と鏡を見つめてしまいました。

試着室でこれが正解なのだろうかと悩んでいると、店員さんが「似合ってますよ」と声をかけてくれた。私が「サイズがちょっと大きい気がするんだけど」というと、店員さん「ここは大きいサイズをダボッと着るブランドですよ」と怪訝な顔をしていた。私の感想はここのブランドの着こなしとして不正解だったのだろう。

どんなふうに着てもいいだろう

ブランドにはブランド特有の着こなしがあるし、ブランドがおすすめする着こなしにはずれはないのだろう(きっと)。しかし偏屈な私は心の中で「どんなふうに着てもいいだろう。ふん。」と思ってしまう。

着こなしの正解を持っているのは、ブランドそれとも本人。 私は後者を選びます。着る本人に似合っていることが一番の正解でしょう。

清潔感は大切

私はブランドに詳しくはないので、どんな着こなしをしていてもそこまで気にならない。もちろん最低限の身なりをクリアする必要はあると思う。それは清潔感が主だ。

仲良くなった人の中には、どんなに白シャツの脇が黄ばんでも「これは兄からもらった服だから」といって好んで着ている人がいた。その人は兄に強く憧れていたのだろう。私はその人が大事にしている白シャツのブランドもわからないし、価値もわからない。でも脇が黄ばんでいることはしっかりわかった。その服を着てる姿に、清潔感は感じられなかった(少なくとも)。

誰のための洋服

私は日常生活で、ブランドの「お作法」に従って服を着たいわけではない。自分が似合ってる着こなしをしたい。

今回の経験から着こなしに強くこだわりがあるブランドに手を出すのは控えようと思った。なので今後もこのブランドから買うことはないだろう。服を着るたびに「ダボッと着るのが正解」を思い出してモヤモヤするし、間違ってしまったらどうしようとソワソワしてしまう。

洋服は見られる(評価される)ことを意識すると窮屈になると思いませんか。

目的がオシャレに見られたいなら、ブランドが勧める着こなしをすべきだろうけど(たぶん)私は他人にどう見られるかはそこまで問題になっていない。もちろん先ほどいった最低限のラインはあるけど。ブランドの着こなしが間違っているはほんとどうでもいい。

なんならダボッと着てオシャレだと思う人もいれば、タイトに着てオシャレだと思う人もいる。つまり自分が納得すればいいのだ。私はショップ店員に認められることが目的ではない。認められても嬉しいわけでもないし。

これからも、自分のライフスタイルや価値観に合った服を身にまとっていきたい。自分らしくを大切に。

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ABOUT ME
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日常エッセイスト
1984年生まれ。 普段は平凡な毎日を送っています。 小さなできごと(いいことも、わるいことも)を、このブログに書き留めています。
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