モノを減らすと心が整う。“持たない暮らし”のはじめ方

モノが増えるほど、心が渇望する気がした。
あの頃、私は「モノに囲まれる生活」こそが幸せだと思っていた。でも今は、そうじゃないかもしれないと思っている。
モノに囲まれた生活
社会の歯車となって働くことに慣れ始め自由に(だれにも文句を言われずに)お金が使えていた頃、たくさんのモノに囲まれて生活していた。
好きな漫画やフィギュア、CD、洋服、財布、バッグ…その頃は好きなものを買うことが楽しくて仕方がなかった。もちろん不満はなかった。不満はないけど、私の部屋はドラマに出てくるような部屋とは程遠い場所にいた。
テレビでドラマを見ていると、そこに出てくる登場人物の部屋はたいていおしゃれ。「こんな部屋にしたいな」とは思うけど、そうはならなかった。ドラマはインテリアにお金をかけているからおしゃれなんだとテレビに向かって言い訳していた(これも正解の一つではあった)。
でも、それだけではなかった。
「モノを持っていることが豊かさの象徴」の時代があった。たくさんの服を持って、たくさんのバッグを持って、車を所有して。私が社会の歯車として働いていた頃は「とりあえず持てるなら持て」の時代だった。
母もモノを持つ人
私の母もモノは持ってなんぼな人。よく「モノは持っておいて損はない。そんなにポイポイ捨てないで、必要なときが来るかもしれないからとっておきなさい」と言われたものだ。言われるがままに行動していた私は、母の言葉を疑うことなく、着ないであろう服も念のためにと大切に収納ボックスの奥のほうにしまっておいた。
ただ一度でも「いらない」と思った服に改めて魅力を感じることはそうそうない。そういう服は「いらないモノ」として収納ボックスの肥やしになり増えていく。
ミニマリストの登場
そんなモノを持つことが当たり前だった私にとって「ミニマリスト」の登場はビックリしました。
初めてミニマリストを知ったのはテレビやっていた「ミニマリストの特集」。そこに出てきたミニマリストの部屋にはパソコンだけがあった。あまりに極端で正直「これで生活できるの?」と思ってしまったものです。
好きなものに囲まれるミニマリスト
私が見たミニマリストは極端だけど、最近見る「ミニマリスト」もしくは「モノを持たない生活をしている人」は、自分が好きなものの中で必要最低限しか持たないことを意識している。
生活をデザインできているからオシャレで憧れるのかもしれない。極端な(パソコンしか持たないような)ミニマリストには、憧れではなく「ほぉ」となる。モノは少ないほうがいいけど、生活に不便を感じるようなミニマリストは趣味だと思っている。
私は好きなものの中で必要最低限しか持たない派だ。なにも持ちたくはないけれど、誰かと生活をしていたら、私が必要なくても持たないといけないものもある。相手も同じように持ちたくないものを持たされてる。それが共同生活だ。とはいっても持たないほうだと思っている。
衝動買いが減った
モノを少なくしてよかったことは「衝動買いをしなくなった」こと。買い物に出かけると、あれやこれや目につくし、すぐに欲しくなるタイプなので何も制限がなければポンポン購入してしまう。そんなことありませんか。
モノを持たないようにしようとすると、所有する喜びよりモノが増えてしまうなという感情が強くなる。モノは増えると管理が大変になるし大切にしなくなる。まいっちゃいますね。
ふと思うことがある。それは「モノがあるから、モノが欲しくなる」深いような浅いような…。モノが増えるほど「もっと欲しい」という欲が刺激されてしまう気がします。人間はいくらモノがあっても満足しないんだと思う。
だからこそ少ないモノで暮らすのがいいのかもしれない。どうせいくらモノがあっても満足しないのだから。そして持つモノは自分が好きで納得するモノ。これが大事。モノを少なくするからこそ、満足するモノを持つ。そうすれば買いなおすことも少なくなる。
さまざまな選択肢が増えた
いまはモノを持たなくても快適に暮らせるようになってきている。さまざまなシェアリングサービスやサブスクリプションがあるし、持つことに拘らなくても豊かに生きていける時代になった。ほんと便利になりましたね。
モノに振り回されないこと。それは、自分にとって何が本当に必要なのかを知ることでもあります。少ないモノで、丁寧に生きていく。その積み重ねが、自分らしい暮らしに近づく一歩かもしれませんね。