現実世界を変えられるのは自分だけ
子どもが学校へ行くことに躊躇しはじめて思うこと。
下の記事でも書いたけど、夏休みがあけてしばらくすると子どもが学校へ行きたくない雰囲気を出すようになった。
話を聞いてみると、イジメとかではなく(親としては一安心)ただ行きたくないらしい。たぶんだけど、楽しくないのだろう。きっと仲がいい友だちが最近、不登校気味なのも要因の一つかもしれない。
今どきの考えなら、ムリに学校へ行かせないのも選択肢の一つなのかもしれない。でも、楽しくないから休んだとしても、その行為はなにも解決にはならないじゃんと私は思ってしまう。学校という場所はしばらく休んでから行くと楽しくなるような場所ではないし、休んだら周りの環境が変わるわけでもない。正直、本人が変わらない限りなにも変わらないしなにも解決しない。
そもそも「楽しい」というのは環境や周りの人が提供してくれることではなく、自分の内側から楽しいことを生成していかないと楽しいことなんて普通に暮らしていたら滅多にない。周りの人も誰かのために生きてるのではなく、自分のために生きているのだ。みんな自分のために生きているもの同士なのに、その人から楽しいことをもらおうとしている時点で考え方が間違っている。
もちろん、休日ならたまには楽しいことが親から提供されることもある。でも、親が子どものためにと思って楽しいだろうと思うことを提供しても、子どもが楽しくない顔をするときがある。だから、自分で楽しいことを探さないと楽しいことなんてないのだ。親が楽しいだろうと提供しても、自分が楽しくないと思ったら楽しくないのだ。環境や周囲の人がつまらないのではなく、自分で楽しくないようにしているのだ。
あと、学校は楽しむために行く場所ではないことも分かっておく必要があると思う。はっきり言って、学校は楽しいを提供してくれる場所ではなく勉強する機会を与えてくれる場所。だから、学校が楽しくないはある意味あたりまえ。じゃあ、どうすれば楽しくなるか。それは自分で楽しいことを見つけていくしかない。楽しくしたいのであれば、自分が努力するしかないのだ。
先生は「行きたくないときは休んでいいですよ」って言ってると子どもから聞いたけれども。本当に難しい話だ。逆に「行きたいときがない場合はどうしたらいいですか?」と聞きたい。行きたくないから行かないとなったとき、学業をどうフォローしていけばいいのだろう。休むの簡単だけど、もしそのまま休むことを選択したら。。と親からすると考えてしまう。
私も子どもの頃、学校へ行きたくない気持ちはあった。でも、そのときどうしていたかと思い出してみるがきっと学校は行かないといけない場所だから「行かない」という選択肢はなかったのかもしれない。「行きたくない」はあるけど「行かない」はなかった。あと、親にそんなことを言えるような雰囲気でもなかった。親は「子どもが学校行くの当たり前!」なんなら、小学生がズル休みして外出なんかしてたら親が捕まると言われた記憶がある(まだ純粋だったので信じていた)。そんなこと言われたら、行かないといけないと思うから行っていたのだろう。
「行きたくない」という気持ちは珍しいことではなく、ふつうの感情なのかもしれない。無邪気に毎日「いってきます」と学校へ向かう子のほうが珍しいと思いたい。きっと、気持ちが大人になってきたのだろう。この「行きたくない」も成長の証として見守ろう。
でも、やっぱり学校には行ってほしいなぁ。