ひまを潰すということ
ひまな時間は、今では簡単に埋められる。
でも、それが本当に満たされた時間かどうかは、よくわからない。
昔と今を行き来しながら、「有意義な時間」とは何かを考えてみる。
今の時代はほんとに便利だ。
便利すぎて、ひまを作るのが難しくなっている。十数年前までは、とはいってもそんな昔のことではないけど、ひまをどう潰すかよく悩んでいたような気がする(もちろん深刻ではない)。
今も、まったくひまな時間がないわけではない。でもひまがあると、便利な小さな箱がこっちだよと誘ってくる。それに触れた瞬間、世界と繋がり、好きな音楽も好きな動画も、いろんな人の生活も見れる。お代として、時間がごっそりと取られるけど。
ひまな時間は潰せても、ひまな時間を有意義な時間にすることは、そう簡単ではない。その箱との付き合い方で、時間は有意義にも、あっというまに無駄にも変化する。
そもそも、全ての時間を有意義にしようとする発想も、十数年前にはなかったような(私だけかもしれない)。いったい有意義とはなんだろう。
じゃあ、便利な箱がなかった時代は、穏やかだったのかと言われたら、うーん。そのときはそのときで、時間を無駄にしてただろうし、有意義に過ごせてなかったかもしれない。でもそれが不幸だと思ったこともない。そういうものだ。
あの頃は、みんなが同じようなテレビ番組をみて、同じような歌を口ずさみ、同じようなアイドルを好きになる。少ない情報をパッチワークのように自分勝手に繋いでいた。それはそれで、楽しく過ごしていたような気もする。
だからといって、別にあの頃に戻りたいわけではない。あの頃はあの頃なりの、めんどうがあった。
結局やってることは、あまり変わらないのかもしれない。そしてめんどうなことは、いつの時代も形を変えて付きまとう。
これは技術の問題ではなく、人に問題があるのかもしれない。もしくは、さほど問題でもないのかもしれない。
補足:夜は本を読むようにしてるけど、隙を見せるとスマホが誘惑してきます。

