日常

六十分も走る意味はあるのか

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先日、六十分ランニングマシーンで走っていることを書いたけど、たまに「六十分も走ることは有意義なのか」と考えてしまうことがある。

というのも、その六十分間はあまり融通がきく時間ではない。私が不器用なだけかもしれないけど、走っているあいだできることは音楽を聴く、ラジオを聴く、動画を見るぐらい(ランニングマシーンだからできること)。みなさんもそういうもんなんでしょうか、いやそうであってほしい。

音楽もすごく集中して聴いているわけではない、BGM程度に流れているだけ。心の中で歌ったりもするけど六十分も走ってると、心が歌いたくありません、と口を閉ざしてしまう。

頭の中では「早く終わらないかな」「こんなに走る意味あるのか」といった自問自答がほとんど。こんなことを考えながら走って走って走る。走り終わると「いやあ今日もよかったよかった」と自分で自分を称えている。

走ると瞑想みたいに頭がからっぽになると訊いたことあるけど、私の場合は不安や過去のいやな思い出が蘇ることが多い。そうすると、ああなんて自分は愚かなんだろうと悲しい気持ちになる、でもいま走ってるから帳消しだあ、と悲しい気持ちを燃料にして走っている。

こんなことばかり書いていると「走ることはつらいことしかない」と思われてしまいそうなので、いい面もお伝えしておきますね。

まずは誰かにばかにされたとします、とてもいやですね。でもそんなときは「ふん、こっちは六十分も走っているんだ。お前は走れるのか」と心の中で反論する。そうすると気持ちを抑えられます。もし走れる人だったら困りますが、知ったこっちゃない。

あと少なからず身体が変化していきます。その変化は劇的ではありません、ゆっくりゆっくり時間をかけて変化をしていきます。気づくとズボンが緩くなっている、顔が少し小さくなったなど、あれもしかしてみたいな変化が出てきます。その変化も小さなものです。
ただすぐに結果を欲しがってはいけません、結果は恥ずかしがり屋なのでなかなか出てきませんから。

そして精神力が上がるような気がします。精神力というと仰々しいけど、私は走ることをルーティンにしてから体力がつき、辛抱強くなりました。辛抱強くなったのは、負荷がかかるような場面に遭遇しても、走るよりは楽だな、と考えられるようになったからかもしれません。

最後に毎日なにかを継続することの大切さも、走ることで学んだ気がする。塵も積もれば山となるそのもの。一日だけみたら塵だけど、そのうちふうっと息を吹きかけても飛ばされなくなる。

こんなにいい面があるのに、毎朝「また走るのかあ」とうんざりしてしまうんだから不思議なもんです。

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日常エッセイスト
1984年生まれ。エッセイスト。 小さなできごと(いいことも、わるいことも)を、ここに書き留めています。
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