学校へ行くということ
疲れるから小学校へ行きたくない、勉強したくないから小学校へ行きたくない。。小学校へ行きたくない理由は色々とあるだろう。でも、そのまま小学校へ行かないで大人になったときどうなるのだろう。
小学校へ行くことは当たり前だと思っていたけど、最近はそうでもないのかもしれない(もちろん小学校・中学校は義務教育なので行かないといけない場所だとは思っているけど)。無理矢理行かせる場所ではなくなったらしい。
子どもの友だちにも、不登校気味な子がいる。その子が小学校に行かない理由は「小学校が遠くて行くのが疲れるから」らしい。理由なんて一つだけではないことは分かっているし本当のことを言っていないかもしれない。でもそんな理由らしいし、毎日登校していないことは確かだ。
私からするとそんな理由で小学校行かなくていいのかよ!と思ってしまう。あと、1番は将来が不安になってしまう。子どもは段々と自立していくものだ、それなのに小学校へ行かなかったらうまく自立できるか不安になってしまうのだ。
まだ小学生のうちはある程度、親が支えてあげないといけないのではないかと思う。高校生がその後、大学に行く行かないはもういい。だって本人が考えたことだし、後に親のせいにはできない(親が理由で行けない場合もあるけど)。小学生の学校へ行きたくない(原因は怠惰)も本人の意思かもしれないけど、ちゃんとした判断ではないことは確か。
未来から逆算をして、小学校行くことは無駄だと考えたならまだ考える余地はある。でも、そんな事考えられる小学生はほとんどいない。たいていの小学生は「今日、行くのはめんどくさい」しか考えてない。そもそもなぜ学校に行くのかを考える小学生もそこまでいないだろう。
私が小学生の時代は学校へ行きたくないと言ったら親に「小学校へ行かないと親が警察に捕まる」と言われたもんだ。義務教育だから通わせないといけないからそんなことを言っていたのだろうけど。あの時代の親はなんともすごいと思ってしまう。意見のゴリ押しだ。
じゃあ、私は小学校へ行ったことを後悔したかというと後悔していない。小学校へ行かなかった人生を歩んでないから比べられないけど、少なくとも行ってて良かったと思う。もちろん、嫌なことも多かったし別に楽しい場所ではない。でも毎日どこかに通って少し苦痛となるものを続けることには意義があると思う。
学校へ行ったから色んな人がいることも分かったし、人間関係を学ぶこともできた。学校で学べるのは座学だけではない。社会の縮図のような場所だ。本当の社会よりは優しい世界だけど、子どもからするとハードな世界だろう。それを経験するのとしないのでは大人になったとき差が出るような気がする。
ということを、いま小学生である子どもには分からない。そこに気づくのは大人になってから。もう小学校へ行けなくなったときに気づくのだ。だから、親はある程度は子どもを支えないといけない。後々、本人が後悔しないためにも。
きっと、怠惰が理由で行きたがらない子どもを学校へ行かせることは大変だろう。でも、このままずっと行かないことのほうがもっと大変なことになるだろう。問題は早いうちに解消しないと、どうしようもないぐらいの問題になってしまうもの。
いま楽を選ぶとツケがまわってこないか不安でしかない。