日常

『先生ガチャ』なんて本当にあるのか。

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『先生ガチャ』なんて本当にあるのか。

子どもが小学校に入学したときには、『先生ガチャ』という言葉は頭の片隅に追いやられ、子どもの勉強で手一杯になっていた。そのうち小学校というシステムに慣れてくると、そういえばと思うことが増えてくる。たとえば「この先生ちょっと変じゃない?」

まいったなあとなったのは、翌日の時間割を教えてくれないことだった。通年の時間割はある。だけど子どもの話を聞くと、その通りの授業をしていない。結局は事情聴取のように、子どもの話を聞いたり、ノートを見たりして、やったことを推理しながら復習をしていた。

時間割だけではない。進めかたにも「おや」となることがあった。

それは宿題に出る漢字が今やってる単元ではなく、終わった単元の漢字だった。

忙しくて間に合わなかったと言われたら、そうですかとしか言えない。学校のクラスはまるで小さな村のようなもの。郷に入ったら郷に従え。そこの長である先生次第で、どんなふうにでもなるのだ。

そんな自転車操業のような漢字練習の宿題は、少なからずストレスになっていた。

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もちろんそういう先生ばかりではない、たぶん・・・。

「いい先生だったなあ」と振り返ったときに思う先生もいた。

その先生は翌日の時間割を教えてくれた。漢字練習はちゃんと単元に合ったものにもなっていた。そしてしっかり漢字練習をさせるようにもなった。

不遇な経験のおかげで、これだけでもありがたいと思えるようになった。

このとき子どもは友人関係で悩んでいた。

まずは先生に相談せず、本人が努力してみたけど、成果は見えず。しばらくすると、本人から「学校へ行きたくない」と伝えられた。

私は先生に相談することに、少なからず抵抗があった。

一年生のまだ四月ぐらいのときクラスメイトから、「それはないだろ」ってことをされたので、連絡帳で先生に相談をした。するとその日のうちに電話がかかってきた。はじめはトラブルの話をしていたが、そのうち話は勉強の出来不出来のことになった。

結局その先生が言いたいことは「トラブルに巻き込まれたくなかったら勉強してください」だった。なにも非がないはずなのに、相談したらこんなことを言われるんだ・・・。

このことはショックだった。おかげで一年生の四月早々には、小学校の先生にはなにも期待しないことを誓った。

また同じようなことを言われたら嫌だなと思ったけど、学校行かなくなる方が困るからと自分に言い聞かせ、連絡帳に相談ごとを書いた。

そのときもその日のうちに電話があった。今回はトラブルの話だけで、ちゃんと解決の方向に進んだ。子どもからも「もう大丈夫」と言われた。この言葉に親はほっとする。

どれがあるべき姿なのかはわからない。どんな対応がお互い(先生と子ども、もしくは先生と親)にとって最適なのかもわからない。

学校は子どもだけでなく、大人にも考えさせる場所なのかもしれない。

補足:今回の担任の先生は強そうなので、しっかり防御していきます。

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日常エッセイスト
1984年生まれ。エッセイスト。 小さなできごと(いいことも、わるいことも)を、ここに書き留めています。
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